1974年のロッテオリオンズでは、1974年のロッテオリオンズにおける動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、金田正一監督の2年目のシーズンであり、4年ぶりのリーグ優勝と毎日時代以来24年ぶりの日本シリーズ制覇を達成したシーズンである。また、日本野球機構に登記する保護地域についても、暫定的に宮城県に移し、宮城球場を本拠地登録したが、実際は1973年とほぼ日程編成は変わらなかった。
この年は後期ステージ1位からのプレーオフ制覇によりリーグ優勝、その後日本シリーズを制しているが、ロッテはこれ以後、2024年現在まで年間勝率第1位からリーグ優勝・日本一になっておらず、日本プロ野球全12球団で最も遠ざかっている。
チーム成績
レギュラーシーズン
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
日本シリーズ
オールスターゲーム1974
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
できごと
- 4月27日:川崎球場の太平洋クラブ戦4回表、外野フライでホームに走った弘田澄男選手を、太平洋の宮寺勝利捕手が足で引っかけて転倒、怒った金田正一監督は宮寺捕手を蹴り飛ばし、また太平洋のドン・ビュフォード選手が金田監督に飛びついた事から両軍大乱闘。金田監督とビュフォード選手は退場となり、また宮寺捕手は走塁妨害とされ弘田選手の得点は認められる。
- 6月13日 - 6月23日:ジョージ・アルトマン選手、パ・リーグ新記録となる「6試合連続本塁打」を達成。
- 8月7日:宮城球場の南海戦でアルトマン選手が試合中に倒れる。診察の結果、初期の「大腸癌」である事が判明、直ちに アメリカ合衆国に帰国し手術、手術は成功したが、これがきっかけでアルトマン選手はこの年限りで退団(翌年には阪神に移籍)となる。
- 9月5日:平和台球場の太平洋クラブ戦7回、守備から帰ってきたロッテナインに、スタンドから酒が降りかけられ、金田監督は激怒のあまり試合続行を一時拒否、31分中断。
- 9月19日:同月5日(先述)のトラブルでロッテ側が試合続行拒否をした事で、パ・リーグの岡野祐会長はロッテ・太平洋の両球団代表に、試合続行拒否は野球規則の誤った適用を強要したことであり、また太平洋球団には球団施設警部の面に万全を期す様に要望書を送った。だが当日の大阪球場の南海戦7回、ロッテ守備中にスタンドからコップが投げ入れ、岩崎忠義外野手がうずくまるアクシデントが発生、ロッテ側はスタンドに抗議、審判団に「これ以上物が投げ込まれたら、没収試合にしてほしい」と要請し4分中断、要望書は全く効き目が無かった。
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
出典



