藤原 顕雅(ふじわら の あきまさ)は、鎌倉時代中期の公卿。藤原北家勧修寺流、参議・藤原親房の三男。官位は正二位・参議。
経歴
寛元4年(1246年)、後嵯峨上皇の院司として蓮華王院の損色の検分に当たる。建長7年(1255年)に従三位・治部卿に任じ、正元元年(1259年)には後鳥羽天皇陵への遣使も務めているが、文応元年(1260年)に参議を一旦罷免されるという経験もしている(同年中に還任)。
弘安4年(1281年)に出家(法名は准心)し、同年、薨去。享年76。
出典
- 『新訂増補国史大系・尊卑分脉』 吉川弘文館
- 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』 新人物往来社



