ロン・キトル(Ronald Dale (Ron) Kittle , 1958年1月5日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー出身の元プロ野球選手(左翼手、指名打者)。右投右打。
経歴
鉄鋼所で働く労働者であったが、1977年ロサンゼルス・ドジャースとドラフト外で契約してプロ入り、1978年シカゴ・ホワイトソックス傘下のマイナーに移籍した。1982年にはAAA級パシフィックコーストリーグのエドモントンでシーズン50本塁打を放ち、同年9月2日にメジャー初出場。初のフルシーズンとなった1983年にはチャーリー・ラウの指導により打力が向上し、出場試合145試合で打率こそ.254で、150三振を喫したが、35本塁打、100打点を記録し、オールスターにも出場。チームは、ワールドシリーズに出場した1959年以来の地区優勝を果たし、キトルはア・リーグ新人王に選ばれた。
コミスキー・パークの屋根に、史上最多の7本のホームランを打つ長打力は魅力であったが、すぐに打率が低下。1984年には32本塁打、74打点を記録したが打率は.215、三振は137を喫し、1985年には116試合に出場試合が減少。それでも26本塁打、58打点を記録するが、打率は.230。1986年途中にニューヨーク・ヤンキースに移籍。このシーズンは合計116試合に出場し、21本塁打、60打点、そして110三振を記録した。以後は出場機会も減少し、年間100試合以上に出場したのは引退前年の1990年までなかった。
1988年にはクリーブランド・インディアンスに移籍。この年18本塁打を放つも、翌年にはホワイトソックスに復帰。1990年途中にボルチモア・オリオールズに移籍。この年4年ぶりに100試合以上(105試合)に出場するが、オリオールズ移籍後は打率.164に終わり、解雇。1991年に三度ホワイトソックスに移籍するが、わずか17試合の出場に終わって8月に解雇され、引退。
1998年に独立リーグのノーザンリーグ、ショウンバーグ・フライヤーズの初代監督に就任し、2001年まで務める。2005年にはボブ・ローガンとの共著で、「Ron Kittle's Tales from the White Sox Dugout」という本を出版するが、侮辱的な内容を記載されたとしてバリー・ボンズから告訴された。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 新人王(1982年)
- オールスター出場1回(1983年)
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 K
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)



