熊谷 頼直(くまがい よりなお)は、鎌倉時代中期の御家人。熊谷祐直の子。通称は三郎四郎。安芸国新庄系熊谷氏の当主。

略歴

正応元年(1288年)6月に、安芸佐東郡の一部地頭職であった武田泰継と所領を巡って争い、鎌倉幕府より施行状を出された。

また、頼直は曽祖父の熊谷直実を非常に慕っており、その直実の宗教的な情念を最も受け継いだ人物でもあった。そのため三入庄新庄内での殺生を禁止し、熊谷直実が法然上人より拝領した「迎接曼荼羅掛軸」を安置する伽藍を建てようとした。そして、新庄熊谷氏の更なる発展を願い、子の直勝・直行(蓮覚)兄弟へ、自身の遺言として不断湯(何時でも領民や病人に入浴させる温泉)を続けさせる等した。

系譜

  • 父:熊谷祐直
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:熊谷直勝
    • 男子:熊谷直行 - 蓮覚
    • 男子:熊谷直能
    • 男子:熊谷直宗

猛将・熊谷直元帥

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