日本農民組合 (主体性派)(にほんのうみんくみあい しゅたいせいは)は、1946年2月9日に結成された日本農民組合が、1949年4月の第3回大会を前にした2月の中央委員会で分裂した際の主流派。一方の「日農統一派」が「左派」とされるのに対して、「右派」とされる。略称は「日農主体性派」。

本部事務所は、東京都千代田区内幸町。機関紙は「日本農民新聞」、「農林資料通信」(月3回刊)。

1951年3月の第5回大会では、書記長に江田三郎が選出されている。

主体性派は1950年1月の大会で「日農統一派」内の労働者農民党系(黒田寿男派)と合同した後、1953年1月には、社会党右派系指導者が離脱したため、この頃には、社会党左派と労働者農民党(黒田派)の系統にあったとされる。

1952年末、日農主体性派の組合員数は全国で15万9000人。組合員数の多い地方は新潟(4万5347人)、岐阜(3万人)、鳥取(1万4224人)、徳島(1万6000人)等であるといわれた。

1957年9月、日農統一派と合同して日本農民組合全国連合会(日農全連)を創立して解消された。

出典


やさしく教えて!農民連 農民連(農民運動全国連合会)

農民組合結成 準備委<時の話題>|ニュース|NHKアーカイブス

戦後における農民層の分化と農村社會構造の變化

日本托派团体简介 知乎

近代農民運動と支配体制 一九二〇年代岐阜県西濃地方の農村をめぐって(森武麿 編) / 河野書店 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」