横沢 七郎(よこざわ しちろう、1913年1月27日 - 2002年10月10日)は、台湾生まれの日本のプロ野球選手・プロ野球審判員。
兄・横沢三郎は、戦前の東京セネタース、戦後のセネタースを率いたプロ野球監督(のち国民野球連盟理事長を経てパシフィック・リーグの審判部長を務めた)。もう一人の兄・横沢四郎も東京セネタースで活躍したプロ野球選手。
来歴・人物
慶應商工、慶應義塾大学を卒業。マキノキネマ、コロムビア野球部を経て1936年から東京セネタースで四郎とともに活躍。戦時色の濃くなる中1940年にチーム名も「翼軍」に改名。その年で一時引退。戦後は新たに創設されたセネタースに入団し、翌1947年に引退した。通算1770打席で本塁打を一本も打っていない。これはデビューからの連続無本塁打記録としては日本プロ野球史上最長だったが(最長連続無本塁打の日本記録は赤星憲広の2528打席)、2014年7月31日に岡田幸文に記録を更新された。
その後、1950年の2リーグ制移行でパシフィック・リーグ審判部へ。関東勤務審判として活動。オールスターゲームに2回出場。1500試合以上に出場し、1966年にパ・リーグを退職。
2002年10月10日、多臓器不全のため死去。89歳。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- セネタース(東京セネタース)は、1940年途中に翼(翼軍)に球団名を変更
- セネタースは、1947年に東急(東急フライヤーズ)に球団名を変更
年度別投手成績
背番号
- 14(1936年 - 1940年)
- 15(1946年 - 1947年)
審判出場したオールスターゲーム
- 1963年
- 第1戦 - 2塁塁審、第2戦 - 左翼外審
- 1966年
- 第1戦 - 2塁塁審、第2戦 - 3塁塁審、第3戦 - 左翼外審
脚注
関連項目
- 慶應義塾大学の人物一覧
- 翼軍の選手一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- プロ野球審判員一覧
- 兄弟スポーツ選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 横沢七郎 - NPB.jp 日本野球機構




